160102 : Saturday2016年01月02日

“ エド・マクベインは「鳥」のシナリオも書いてる ”

所有している本にはさんであったメモ。
わたしの字で。

書く事でしっかり覚えておきたかったのでしょうけれど、
きれいさっぱり忘れてました。

さっき自分で発見し、
まず「エド・マクベイン…?」
からはじまり、
「エド・マクベイン!」
と、思い出したのち、
「えっ!ヒッチコックの?そうなんだ!」
と、驚き直しました。

多分、また忘れます。
そんなもんなんだよ。


* * *
本の整理をしています。
ご近所に、良い古書店の窓口があるのです。

12月、十代の頃から大事に抱えて
何十回もの転居に耐えてきた本を処分しました。
(内田善美とか)

あの本を処分できたのなら、
この本も処分できるだろ!
という、新しい基準の設定に成功して、
愛しの本をバカスカ手放しています。

数年前にフラーを一気に二束三文で売り飛ばした時、
もう手放せる本なんて無いと思ってました。
あの時、
「本を焼く者は人間も焼くというけれど、
 ならばわたしは大切な人も
 二束三文で売り飛ばせる輩に違いない」
と、相当自暴自棄でした。

思い出すと今も、フラーを売るなんて正気じゃない!
と、思うんですが、
とはいえ後悔はしていないのです。
矛盾しているようですが、
そもそもわたし如きが触れる分野じゃないんですよ。
シナジーとかテンセグリティとかフラーレンとか。

* *
本を手放すのは複雑です。
さみしくてかなしくて胸が潰れそう。

大事な物を手放すことは自傷でもあり、
なのに勇気づけられて、
清々しく次の一歩を踏み出せるような気がする、という
おかしな感覚です。

* *
十数枚あった、ホルストの組曲「惑星」のCDも
全て処分。

一番聴いたのはカラヤン指揮のベルリンフィル、
次点、スタインバーグ指揮のボストン交響楽団。

* *
音楽も本も、
浅薄なわたしの武装というかやわい殻でしかなく、
しかもどうやら最初にその音楽や物語好きになった時の
思い出として所有しているだけだと気がついて、
わたしが持っている事は
敬愛する作品への侮辱かもねと、
引きに引きまくっての放出です。

* *
それから、過去を引っぱり出す材料は
(それが必要かどうかはさておき、だ)
紅茶にマドレーヌをひたす行為で充分。
何も手元に揃えておく必要はないとも思ったのでした。

(読んだみたいに書いてますが、
「失われた時を求めて」は途中で挫折してます)

* *
生まれてから一番最初に、読んでアハハと笑った文章は、
中川李枝子「ガブリちゃん」。
サエ4才。

今ここに「ガブリちゃん」はありませんが、
あの時の感覚は未だ鮮明で、
SHERLOCKでいうところの“ マインドパレス ” は
こういうことの積み重ねでできるんだなと
ちょっとわかったことで、
身軽になるはずみがつくかもしれません。

こうして削ぎ落して、刺繍が残ればいいなと、
自分を見張っているのです。